はじめに(この記事で分かること)#
日本の警察がLINEやGoogleに利用者の情報を求めるとき、使われる手続きは一つではない。捜査機関が書面を送るだけの「照会」と、裁判官が発付する「令状」がある。LINEヤフーの透明性レポートによれば、2025年7月から12月の半年間にLINEサービスが国内で受け取った要請は、捜査関係事項照会が3,645件、令状が3,862件、緊急要請が100件だった。
この記事は、刑事訴訟法などの条文、総務省と個人情報保護委員会のガイドライン解説、各社の透明性レポートという、誰でも原文を確かめられる材料だけを使って、利用者のどの記録がどの手続きで誰に渡りうるかを整理する。匿名の投稿で権利を侵害された人が開示を求める民事の経路は発信者情報開示命令の記事で扱い、ここでは刑事の経路だけを扱う。スマートフォンの位置情報とGPS捜査は位置情報の記事に譲る。
前提: 脅威モデルの整理#
脅威モデル入門で分けた5種類の相手のうち、この記事が扱うのは法執行機関だけだ。法執行機関の能力の上限は高い。ただ、その大部分は自前の観測ではなく、プラットフォームや通信事業者がすでに持っている記録を法的手続きで取り寄せることで成り立っている。そのため、この相手について見積もるべきことは二つに分かれる。自分に関するどんな記録が、どの事業者のもとに、どれだけの期間残っているか。そして、その記録がどの手続きを経れば渡るのか。
ほかの4者との関係も整理しておく。広告網とデータブローカーは、この記事の手続きを使う立場にない。元交際相手のような標的型攻撃者は、警察が動かない限り刑事の手続きには届かず、使える法的経路は民事の開示請求になる。プラットフォーム自身は、この記事では要請を受ける側として登場する。
一般の利用者がこの手続きの対象になる確率については、公表された数字から言えることと言えないことがある。事実として、LINEヤフーのレポートは罪名別の内訳を出しており、2025年下半期のLINEサービスでは財産犯罪が84.16%を占め、レポート自身が「詐欺を中心に高い割合を占めています」と書いている。SNS型投資詐欺やロマンス詐欺の要請件数は「引き続き増加傾向」ともある。
ここからの読みは推測になる。要請の大半は特定の事件、とくに詐欺に使われたアカウントを起点にしているとみられ、事件と関わりのない利用者の記録をまとめて取り寄せている様子は、公表された数字からは見えない。ただし、被害者として、あるいは被疑者とやり取りした相手として、自分の記録が要請の範囲に入ることはありうる。また、要請1件が何人分の記録に及んだかは、事業者によって数え方も公表の有無も違う。件数だけで「自分が対象になる確率」を割り出すことはできない。
照会と令状: 二つの経路#
197条2項の捜査関係事項照会#
刑事訴訟法197条2項は一文しかない。「捜査については、公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。」これが捜査関係事項照会の根拠だ。裁判官は関与せず、捜査機関が照会書を作って事業者に送る。
この条文には、照会に応じなかった事業者への罰則が書かれていない。強制力について条文から言えるのはそこまでで、事業者がどう応じるべきかは、後で見るガイドライン解説が示している。応じるかどうか、どこまで出すかの判断が事業者の側に残る。それが照会という経路の性格であり、各社の透明性レポートが「開示率」を出せるのもこのためだ。
同じ197条には、記録を消さないよう求める規定もある。3項によれば、捜査機関は差押えや電磁的記録提供命令のために必要なとき、通信事業者に対して、業務上記録している通信履歴のうち必要なものを特定し、30日を超えない期間を定めて消去しないよう書面などで求められる。延長はできるが、通算で60日を超えられない(4項)。5項は、これらの求めに関する事項を「みだりに」漏らさないよう求めることもできるとしている。この保全の求めは記録を出させる手続きではない。令状を取るまでのあいだに記録が消えないようにするためのものだ。
218条の令状と、2026年に加わった電磁的記録提供命令#
218条1項は、捜査機関が「裁判官の発する令状により、差押え、捜索、電磁的記録提供命令又は検証をすることができる」と定める。こちらは強制処分で、令状の発付の段階で裁判官の審査を経る。総務省と個人情報保護委員会のガイドライン解説は、令状で特定された範囲内の情報を提供するものである限り「提供を拒むことはできない」としている。
この条文は2026年に変わった。e-Govの改正履歴で版を比べると、2025年7月22日施行の版では218条1項に「記録命令付差押え」とあり、2026年5月21日施行の版(令和7年法律第39号「情報通信技術の進展等に対応するための刑事訴訟法等の一部を改正する法律」による改正)から「電磁的記録提供命令」に置き換わっている。102条の2の定義では、電磁的記録提供命令は、記録を保管する者などに対し、必要な電磁的記録を記録媒体に移して提出させるか、電気通信回線を通じて命令する側の管理する記録媒体に記録させる方法で提供を命じるものだ。サーバーやパソコンを物として押収するのではなく、データそのものをオンラインで提出させる形を、条文が正面から定めたことになる。
利用者の側から見落とせないのは218条3項だ。捜査機関は裁判官の許可を受けて、命令を受けた者に対し、1年を超えない期間、命令を受けたことや記録を提供したかどうかを「みだりに」漏らしてはならないと命じられる。正当な理由なく電磁的記録提供命令やこの命令に違反した者は、222条の2により1年以下の拘禁刑または300万円以下の罰金に処される。
事業者の通知方針は各社が公表している。たとえばGoogleは、政府機関から要請を受けたとき、情報を開示する前に利用者のアカウントにメールを送ると説明している。組織が管理するアカウントでは、通知先は利用者ではなく管理者になる。この方針には例外も明記されている。法律で通知が禁じられている場合は通知せず、禁止が解けた後に通知する。アカウントが無効化されたり乗っ取られたりしている場合は、通知しないことがある。子どもの安全や人命への脅威といった緊急事態でも通知しないことがあり、その場合は緊急事態が過ぎたと分かった時点で通知するとしている。
ここから先は推測になる。日本の事業者が218条3項の命令を受けた場合には、少なくともその期間中は通知が届かないと考えるのが自然だ。Googleのような海外の事業者が、日本の218条3項の命令を自社の方針でいう「法律による通知の禁止」として扱うかどうかは、今回の確認では分からなかった。
二つの経路を並べる#
| 捜査関係事項照会(197条2項) | 令状(218条1項) | |
|---|---|---|
| 裁判官の関与 | なし | 令状の発付で審査 |
| 応じなかった場合 | 条文上の罰則はない | 強制処分。電磁的記録提供命令への違反には222条の2の罰則 |
| 通信の秘密に属する事項 | ガイドライン解説は提供を「原則として適当ではない」とする | 令状で特定された範囲なら提供を拒めない |
| 口外を控える求め・命令 | 通信履歴の保全の求めについて、漏らさないよう「求めることができる」(197条5項) | 電磁的記録提供命令に付けて最長1年、裁判官の許可が要る(218条3項) |
これとは別に、通信の内容をリアルタイムで聞く通信傍受は、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律という別の法律の領分だ。3条は、傍受令状が出せる場面を別表に掲げた罪に限り、数人の共謀によると疑うに足りる状況などに加えて、他の方法では犯人の特定や犯行状況の解明が「著しく困難」であることを要件にしている。36条により、政府は毎年、傍受令状の請求・発付の件数や罪名などを国会に報告し、公表する。保存された記録を取り寄せる照会や令状とは、要件の重さがまったく違う。
通信の秘密と事業者の対応#
照会と令状の違いが実際に効いてくるのは、通信の秘密が関わる場面だ。電気通信事業法4条1項は「電気通信事業者の取扱中に係る通信の秘密は、侵してはならない」と定め、179条は侵した者に2年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金、電気通信事業に従事する者には3年以下の拘禁刑または200万円以下の罰金を科している。
一方で、個人情報保護法はこの場面の障壁にならない。27条1項1号は、本人の同意がなくても「法令に基づく場合」には第三者に個人データを提供できるとしており、18条3項1号にも同じ例外がある。ガイドライン解説は「法令に基づく場合」の例として、197条2項の照会と218条の令状をそのまま挙げている。障壁になっているのは個人情報保護法ではなく、通信の秘密のほうだ。
その境界線を、個人情報保護委員会と総務省の「電気通信事業における個人情報等の保護に関するガイドライン」の解説(令和8年6月更新版)が具体的に引いている。この解説によれば、照会に対しては「原則として照会に応じるべき」だが、通信の秘密に属する事項を提供することは「原則として適当ではない」。そして通信の秘密の範囲を広く取っている。通信内容だけでなく、「通信当事者の住所・氏名、発受信場所、通信年月日等通信の構成要素及び通信回数等通信の存在の事実の有無を含む」。
逆に、「個々の通信とは無関係の加入者の住所・氏名等は、通信の秘密の保護の対象外」であり、照会に応じることは基本的に可能だとされる。解説は電話番号の例でこれを説明している。「この通話における発信者電話番号に対応する加入者は誰か」という照会は通信の秘密に関わるので令状などが必要になる。「この電話番号に対応する加入者は誰か」という照会なら通信の秘密を侵害しないので、照会権限を持つ者からであれば応じることも可能だ。ただし、個々の通信と無関係かどうかは照会の仕方で変わることがあり、照会の過程で対象が個々の通信に密接に関わることがうかがえるときは通信の秘密として扱うのが適当だ、とも書いている。
同じ解説は、通信履歴(いつ誰と通信したかの記録)を照会に応じて提供することは「必ずしも違法性が阻却されないので、原則として適当ではない」とし、捜査機関の要請による位置情報の取得は「裁判官の発付した令状に従うときに限り」可能だとしている。どちらの経路でも、提供は令状や照会書で特定された部分に限り、「一般的網羅的な提供は適当ではない」とする。
事業者の側の方針も、この線に沿っている。LINEヤフーの「捜査機関への対応」(2025年10月更新)は、令状か、法令で直接開示が義務付けられた手続きによらない限り原則として開示しないとしたうえで、例外的に必要性と相当性が認められる範囲で応じると書いている。相当性の具体例として挙がっているのは、被疑者を特定するためのIDの登録情報、被疑事実に関するログイン履歴、被疑事実に関するIDの利用履歴だ。一方で、通信の秘密の保護対象となる情報やそのおそれのある情報、要配慮個人情報やクレジットカード情報のようにプライバシー性が高いと判断する情報、被疑者以外の者に関する情報は、令状の執行によらない限り開示しないとしている。同社は2024年8月29日のお知らせで、SNS型投資・ロマンス詐欺の被害拡大を受けて関係省庁と協議し、「個別の通信に紐づかないアカウントの一定の登録情報」については刑事訴訟法に基づく照会で開示可能であることを確認したとも公表している。
利用者の側から見た境界線は、次のようになる。アカウントの登録情報、つまり「このアカウントの持ち主は誰か」は、照会でも出うる。一方、「この時刻にこのメッセージを送ったのは誰か」「誰とどれだけやり取りしたか」は通信の秘密に属し、原則として令状が要る。どちらに当たるかの判断は、まず事業者がする。
透明性レポートの読み方#
主要な事業者は、政府からの利用者情報の要請件数を半年ごとなどに公表している。日本からの要請について、2026年11月8日時点で各社の公式ページから確認できた最新の数字を並べる。
| 事業者 | 対象期間 | 日本からの要請 | 開示の割合(各社の定義) |
|---|---|---|---|
| LINEヤフー(LINEサービス) | 2025年7月〜12月 | 照会3,645件、令状3,862件、緊急要請100件(自殺企図71件・その他29件) | 開示率77.0% |
| LINEヤフー(ヤフーサービス) | 2025年7月〜12月 | 照会764件、令状172件、緊急要請24件 | 開示率51.04% |
| 2025年7月〜12月 | その他の法的要請410件(1,002アカウント)、緊急開示要請584件(713アカウント)、保全要請32件 | 一部でも情報を開示した要請の割合:その他の法的要請69%、緊急開示要請86% | |
| Apple | 2025年7月〜12月 | アカウント要請843件(1,687アカウント)、デバイス要請444件、緊急要請411件 | データを提供した要請の割合:アカウント77%、デバイス80%、緊急87% |
| Meta | 2025年7月〜12月 | 計1,396件(法的手続き279件、緊急開示要請1,117件)、2,988ユーザー・アカウント | 一部でもデータを提供した要請の割合79.73% |
| X | 2024年7月〜12月(公開中の最新) | 情報開示要請2,607件 | 開示1,559件、開示率59.80% |
| Proton | 2025年(国別内訳なし) | 全世界でProton Mailへの法的命令9,301件、Proton VPNへの命令59件 | Mailは8,313件に応じ988件に異議、VPNは59件すべて拒否 |
| Mullvad | ― | 件数を載せた透明性レポートは公開ページで確認できなかった | ― |
数字を読むときに押さえておきたい点がいくつかある。
一つ目は、数える単位が違うことだ。LINEヤフーとXは要請の件数だけを出している。Google、Apple、Metaは要請件数とは別に、対象になったアカウント数を出している。Appleのデバイス要請は単位の違いがよく分かる例で、2025年上半期の日本からのデバイス要請は372件だったが、そこで指定されたデバイスは60,338台に上った。要請1件が1人を意味するとは限らない。
二つ目は、「開示率」の分母と分子だ。Googleが公開しているデータの説明は、この数字を「何らかの情報が開示された要請の割合」と定義している。Metaも「一部でもデータを提供した要請」の割合だ。求められたものをすべて出したという意味ではない。逆に、Appleの内訳には、日本からのアカウント要請843件のうち、コンテンツ(メールや写真などの中身)を提供したのは0件、コンテンツ以外のデータだけを提供したのが653件、異議を唱えたか全面的に拒否したのが96件と出ている。何を出したかまで分けて書いている事業者は多くない。
三つ目は、日本の手続きの区別と一致しないことだ。照会と令状を分けて数えているのは、この表ではLINEヤフーだけになる。海外の事業者は「法的手続き」「緊急」「保全」といった自社の分類で数えており、日本の照会がどこに入るかは公表資料からは分からない。目を引くのは緊急要請の比率で、Metaでは日本からの1,396件のうち1,117件、Googleでは保全要請を除く994件のうち584件が緊急要請だった。この理由について各社は説明しておらず、人命に関わる事案での照会が多いのか、分類の運用によるのかは判断できない(推測の域を出ない)。
四つ目は、時点と鮮度だ。Xの公開中の最新版は2024年下半期で、ほかの社より1年古い。Protonは国別の内訳を出していない。どの数字も事業者自身が集計して公表したもので、外部の第三者が数え直したものではない。
海外事業者と「持っていないものは出せない」構造#
海外事業者への二つの経路#
日本の捜査機関が海外の事業者に記録を求める経路は、大きく二つある。事業者に直接要請する経路と、国家間の刑事共助の経路だ。
直接要請については、各社が受け付ける条件を公表している。Googleは、米国外の政府機関からの要請に応じるのは、米国法(例として電子通信プライバシー法、ECPA)、要請国の法律、国際的な規範、Googleの方針のすべてに適うときに限ると説明している。Appleの米国外向けの法執行機関ガイドラインは、緊急の場合を除き、コンテンツの要請はECPAに従う必要があり、刑事共助条約(MLAT)かCLOUD法に基づく行政協定による要請がそれに当たるとして、コンテンツは「such legally valid process」に応じる場合にのみ提供すると書いている。先に見たAppleの日本向けの数字で、コンテンツの提供が0件だったこととも符合する。
刑事共助の経路では、日米間に「刑事に関する共助に関する日本国とアメリカ合衆国との間の条約」がある(2003年8月5日署名)。共助には証言や物件の取得、人や物件の所在の特定などが含まれ、両国の中央当局は外交ルートを通さず「相互に直接連絡する」。日本からの請求の中央当局は、警察官が送付する請求なら国家公安委員会、検察官などが送付する請求なら法務大臣と定められている。Googleが公開しているデータでは、外交上の手続きによると識別できた日本からの要請は2025年下半期で7件だった。同じ期間の直接の要請(その他の法的要請と緊急開示要請の合計994件)と比べると、件数の差は大きい。
方向が逆の場合、つまり海外の捜査機関が日本の事業者に記録を求める場合も、同じ構図がある。LINEヤフーは、国際捜査共助等に関する法律、MLAT、国際刑事警察機構(ICPO)などを通じて日本の警察を介した海外からの要請も国内の件数に含めていると注記し、2025年下半期の主な国として韓国を挙げている。これとは別に、台湾からの要請714件を国外の要請として載せ、99.16%を開示したとしている。
スイスやスウェーデンの事業者になると、日本からの直接の要請はさらに通りにくい。Protonは透明性レポートで、スイス刑法271条により外国当局にデータを直接渡すことはできないと書き、Proton VPNについては、スイス当局が支持しない外国の要請には法的に応じられないとしている。スイス当局が国際的な司法共助の手続きを通じて外国当局を助けることはあり、その場合はスイス法に適う必要がある。Mullvadも、スウェーデンでは外国当局は一般に管轄を持たず、刑事共助などの枠組みがなければ情報にアクセスできないと説明している。
記録がなければ、どの手続きでも出てこない#
ここまでの手続きは、どれも事業者がすでに持っている記録を取り寄せるものだ。197条3項の保全の求めも、対象は「業務上記録している」通信履歴に限られる。記録が存在しなければ、照会でも令状でも共助でも出てこない。
Mullvadはこれを一文で書いている。「Data that you don't have can't be handed over to anyone.」(持っていないデータは誰にも渡せない)。2023年4月18日には、スウェーデン警察の国家作戦部(NOA)の少なくとも6人が、顧客データの入ったコンピューターを押収するつもりで同社を訪れた。同社のブログによれば、方針どおりそうした顧客データは存在せず、警察は何も持たずに帰った。Proton VPNも、2025年に受けた59件の命令をすべて拒否し、サーバーのIPアドレスと時刻から誰がそのサーバーに接続していたかを割り出すことはできないと説明している。
メッセンジャーでも同じ構造が見える。Signalは召喚状などへの回答を公開しており、2016年の事例では、提供できたのは利用者がSignalに登録した日時と、最後に接続した日付だけだったと書いている。誰と、いつ、何をやり取りしたかを事業者が持たない設計になっていれば、日本の手続きでいう通信履歴を取り寄せる先がそもそもない。どのメッセンジャーがどこまで記録を持たない設計かは、匿名メッセンジャー比較で扱っている。
ただし、この構造には裏側がある。
一つは、記録がないことは現時点の状態にすぎないという点だ。Protonは2021年9月の説明で、気候活動家の逮捕に関連して、スイス当局から従わざるを得ない法的拘束力のある命令を受けたと認め、スイスの刑事捜査の対象になった利用者のアカウントについては情報の収集を強いられうると書いた。それは初期設定で行われるものではなく、特定のアカウントについて法的命令を受けた場合に限られるという。過去の記録がなくても、特定のアカウントについて今後の記録を取るよう命じられる余地は、管轄の法律次第で残る。
もう一つは、事業者が別の記録を持っていることだ。Mullvadは、会計や支払いの記録など一部のデータの保存は法律で求められていると書いている。Proton Mailはメールの中身を復号できないとしているが、2025年には8,313件の命令に応じている。Signalも登録に電話番号を使うので、その番号を発行した通信事業者の側には契約者の記録が残る。VPNを使っても、IPアドレスの記事で書いたとおり、IPアドレスを名前に変換できる立場がISPからVPN事業者に移るだけで、支払いやログインした実名のアカウントは別の橋になる。ノーログの宣言がどこまで検証されているかはノーログVPNの記事とVPN総合ガイドで扱っている。
限界と残るリスク#
この記事が整理したのは、事業者が持つ記録を捜査機関が取り寄せる経路だけだ。自分の端末そのものが差し押さえられる場合や、やり取りの相手の端末や相手のアカウントから記録が出る場合は扱っていない。エンドツーエンド暗号化は通信の途中を守るが、受け取った相手の端末に残った内容は、相手側の記録として扱われる。
制度は動いている。2026年5月には218条に電磁的記録提供命令が入り、e-Govの改正履歴には、刑事訴訟法について未施行の改正が少なくとも4件(施行予定日は2027年3月31日、2027年7月23日、2028年5月16日、2028年12月23日)掲載されている。電気通信事業の分野でも、ログ保存の期間についての考え方が2025年10月にガイドライン解説の改正で変わったばかりだ(IPアドレスの記事を参照)。この記事の条文は2026年11月8日時点のものとして読んでほしい。
透明性レポートには限界がある。数字は事業者の自己申告で、分類も期間も社ごとに違う。218条3項のような口外を禁じる命令がどう数に反映されているかも、公表資料からは分からない。「持っていない」という主張も、Mullvadの件のように実際の捜査で確かめられた例はあっても、方針や管轄の法律が変われば変わりうる。
そして、どの手続きの話も「完全に記録が残らない」状態を保証するものではない。ある事業者が記録を持たなくても、決済、ログイン、電話番号、文章の癖のどれかが別の事業者の記録や公開情報と結びつけば、そこから身元に届く。記録の所在を知ることは見積もりの精度を上げるが、見積もりの外側にある経路を消してはくれない。
まとめ#
SNSやメッセンジャーを普通に使っている人にとって、この記事の数字から確実に言えるのは、公表された内訳では詐欺を中心とする財産犯罪に関する要請が多いということまでだ。個々の利用者が要請の対象になる確率や、対象になった人が被疑者・被害者・第三者のどれにあたるかは、この数字からは分からない。今日できる確認を一つ挙げるなら、毎日使っているアカウントに登録している電話番号とメールアドレスを見直すことだ。照会でも出うるのはこの登録情報であり、ほかのアカウントや実名とどう結びついているかを知っておけば、自分の見積もりが現実に近づく。被害を受けて警察に相談する立場になった場合は、事業者のログには保存期間があることを思い出してほしい。相談が遅れるほど、記録は消えている可能性が高くなる。
取材源を守る必要がある記者や支援者は、守りたいのが自分の身元より「誰と、いつ連絡を取ったか」という関係そのものになる。その情報は、日本の制度では通信の秘密として原則として令状の対象になるが、令状が出れば事業者は拒めない。今日できる確認は、取材源とのやり取りに使っているサービスについて、事業者が送受信の記録をどこまで保持していると自ら説明しているかを、透明性レポートや法執行機関向けのガイドラインの原文で一度読むことだ。持っていない記録は出てこないが、持っている記録は、手続きさえ整えば出てくる。
匿名の投稿をめぐって民事で開示を求められる側の見積もりは、発信者情報開示命令の記事で続ける。
出典#
- e-Gov法令検索 — 刑事訴訟法(2026-10-20施行版。197条2項〜5項、218条1項・3項、102条の2、222条の2。改正履歴で2025-07-22施行版と2026-05-21施行版の218条を比較。参照日2026-11-08)
- e-Gov法令検索 — 電気通信事業法(4条、179条。参照日2026-11-08)
- e-Gov法令検索 — 個人情報の保護に関する法律(18条3項1号、27条1項1号。参照日2026-11-08)
- e-Gov法令検索 — 犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(3条、36条。参照日2026-11-08)
- 個人情報保護委員会・総務省 — 電気通信事業における個人情報等の保護に関するガイドラインの解説(令和8年6月更新版)(「法令に基づく場合」の事例、第17条第1項第1号関係の照会と令状の扱い、通信履歴の提供、捜査機関の要請による位置情報の取得、電話番号情報の照会の例。参照日2026-11-08)
- LINEヤフー — 捜査機関等からのユーザー情報開示要請に関する透明性レポート(2025年下半期)(参照日2026-11-08)
- LINEヤフー — 捜査機関への対応(2025年10月更新。参照日2026-11-08)
- LINEヤフー — 捜査機関等への情報開示について(2024-08-29。参照日2026-11-08)
- Google — Transparency Report: Global requests for user information(同ページのデータ一式google-user-data-requests.zipの日本の行、2025年下半期まで。参照日2026-11-08)
- Google — How Google handles government requests for user information(開示前の利用者への通知と、その例外。参照日2026-11-08)
- Apple — Transparency Report: Japan(同サイトのCSV一式の日本の行、2025年下半期まで。参照日2026-11-08)
- Apple — Legal Process Guidelines: Government & Law Enforcement outside the United States(参照日2026-11-08)
- Meta — Government Requests for User Data: Japan(2025年7月〜12月。参照日2026-11-08)
- X — Global Transparency Report(2024年7月〜12月。参照日2026-11-08)
- Proton — Transparency Report(2026-01-06更新。参照日2026-11-08)
- Proton — Important clarifications regarding arrest of climate activist(2021-09-06。参照日2026-11-08)
- Mullvad VPN — Swedish legislation relevant to us as a VPN provider(2025-03-11更新。参照日2026-11-08)
- Mullvad VPN — Mullvad VPN was subject to a search warrant. Customer data not compromised(2023-04-20。参照日2026-11-08)
- Mullvad VPN — No-logging of user activity policy(2026-06-17更新。参照日2026-11-08)
- Signal — Government Communication(参照日2026-11-08)
- 外務省 — 刑事に関する共助に関する日本国とアメリカ合衆国との間の条約(2003-08-05署名。1条、2条、中央当局の指定に関する交換公文。参照日2026-11-08)