はじめに(この記事で分かること)#
匿名のアカウントで書いた投稿をきっかけに、ある日、契約しているプロバイダから「あなたの氏名と住所の開示を求められているが、応じてよいか」と意見を聴く書面が届く。日本の匿名アカウント利用者にとって、身元が明らかになる経路として最も現実にありうるのは、国家の監視ではなくこの手続きだ。
発信者情報開示命令は、ネット上の投稿で名誉やプライバシーを傷つけられた人が、投稿者を特定して損害賠償などを求めるための裁判手続きとして作られた。制度の目的は被害者の救済にある。この記事はその前提に立ったうえで、匿名で発信する側から見て「何が、いつ、どこから出るのか」を、条文と裁判所・総務省の資料で確かめられた範囲に限って整理する。開示を逃れる方法の解説ではない。
手続きの二段階の構造とログ保存の基本はIPアドレスから個人を特定される仕組みで扱った。ここではその先、つまり裁判所が何を命じられるのか、どんな場合に却下されるのか、相手が海外のSNSやVPN事業者のときに手続きがどう変わるのかを掘り下げる。
前提: 脅威モデルの整理#
脅威モデル入門の5種類の相手で言えば、この記事の相手は「訴える個人」だ。標的型攻撃者に近い立場の人もいれば、正当に被害を訴える人もいる。どちらの場合も、その人自身はあなたの記録を持っていない。裁判所の命令を通じて、プラットフォームとISPに記録を出させる。
この相手の能力には、はっきりした上限がある。裁判所が命じられるのは、事業者が保有している発信者情報の開示だけだ(法5条1項)。端末の押収も、通信の傍受も、令状による捜索もできない。法執行機関は別の制度で記録を取り寄せる。その経路は捜査関係事項照会と令状で扱う。広告網は名前に関心が薄く、この手続きとはほとんど関係がない。
逆に言えば、この相手に対して意味を持つのは「事業者がどんな記録を、どれだけの期間持っているか」と「その記録が自分の名前にどう結びつくか」の二つになる。以下の節はすべてこの二点の具体化だ。
手続きの流れ: 提供命令・消去禁止命令・開示命令#
二段階を一つの手続きに#
匿名の投稿者を特定するには、もともと裁判を2回経るのが一般的だった。まずSNSや掲示板の運営者(コンテンツプロバイダ、CP)に投稿時のIPアドレスとタイムスタンプを開示させ、次にそのIPアドレスを割り当てていた接続事業者(アクセスプロバイダ、AP)に契約者の氏名と住所を開示させる。総務省の改正概要は、この二段階を「2回の裁判手続」と呼んでいる。
2021年4月28日に公布された改正法(令和3年法律第27号)は、これを一つの非訟手続(訴訟以外の裁判手続)にまとめる「発信者情報開示命令事件」を作った。e-Gov法令検索の改正履歴では、この改正の施行日は2022年10月1日だ。東京地裁では事件記録符号から「発チ事件」と呼ばれている。
この手続きの中で、裁判所は三種類の命令を出せる。
開示命令(法8条)は、事業者に発信者情報の開示を命じる決定だ。ここが手続きの本体になる。
提供命令(法15条)は、CPに対し、保有するIPアドレスなどから割り出せる「他の開示関係役務提供者」、つまり投稿の通信を運んだAPの名称と住所を申立人に知らせるよう命じる。申立人がそのAPにも開示命令を申し立てたと通知すれば、CPは保有するIPアドレスなどをAPに直接渡す。割り出せなかった場合は「その旨」を知らせる。申立人はAPの名前を知ってから二段目に進めるので、CPとの裁判が終わるのを待つ必要がない。
消去禁止命令(法16条)は、開示命令事件が終わるまで、事業者が保有する発信者情報を消してはならないと命じる。総務省の逐条解説は、提供命令と消去禁止命令を、APのアクセスログの保存期間が限られているために開示要件の審理と切り離して迅速に求められるようにした保全処分だと説明している。
発信者情報開示命令の申立てについての決定(申立てを不適法として却下する決定を除く)に不服がある当事者は、告知を受けた日から1か月以内に異議の訴えを起こせる(法14条1項)。提供命令と消去禁止命令は扱いが違い、命令を受けた事業者は、それぞれの命令に対して即時抗告ができる(法15条5項、16条3項)。東京地裁のページは、発チ事件は2026年5月21日に始まった民事訴訟の全面電子化の対象外で書面での申立てが必要だが、異議の訴えは電子申立ての対象になると案内している。また、開示命令の手続きでは投稿の削除は求められず、削除には保全命令の申立てなど別の手続きが必要だとしている。従来型の開示仮処分の書式も同じページに並んでおり、古い経路が廃止されたわけではない。
2025年4月の法名変更#
2024年5月に成立した改正法(令和6年法律第25号)が2025年4月1日に施行され、法律の題名は「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」から「特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律」に変わった。総務省はこれを「情報流通プラットフォーム対処法」と呼ぶ。法律番号は平成13年法律第137号のままだ。
この改正の中心は、大規模なプラットフォーム事業者に削除対応の迅速化と運用状況の透明化を義務づける新しい章であり、開示の手続き(第3章・第4章)の骨格は令和3年改正のものが引き継がれている。条番号は2026年11月時点でe-Govに掲載されている現行版に従った。2027年3月1日施行予定の改正(令和8年法律第58号)も、e-Govの改正後の本文と比べると第3章・第4章の文言は変わっていない。
件数と審理期間#
一次統計の司法統計は、確認時点(2026-11-08)で裁判所の統計ページがメンテナンス中で開けなかった。以下は報道と、東京地裁の裁判官による寄稿に基づく数字であり、出典の性格を併記する。
朝日新聞(2026-07-23)は、2026年6月に公表された最高裁のまとめとして、2025年に全国の裁判所に申し立てられた開示命令は1万72件で、前年の6779件から約1.5倍になり、うち9343件が東京地裁だったと報じた。同じ記事は、東京地裁で2024年末までに終わった事件の平均審理期間を約103日としている。共同通信(2025-11-07)は、司法統計として東京地裁への申立てを2022年554件、2023年3755件、2024年6274件と伝えた。2022年は10月の施行後3か月分にあたる。
東京地裁民事第9部の裁判官は、東京弁護士会の会報LIBRA(2025年4月号)で、同部が全国の開示命令事件の約7割を処理しており、施行2年目の申立件数が前年比約4割増だったと書いている(知的財産権に関する事件を除いた同部集計の概数)。寄稿の意見部分は執筆者の個人的見解と断られている。
二つの報道の数字は、集計の範囲(全国か東京地裁か、知財事件を含むか)が記事からは完全には読み取れず、そのまま並べて比べることはできない。読み取れるのは、年間数千件から1万件規模で使われている手続きであり、使われ方が年々増えているという傾向までだ。
開示される項目と、ログイン型投稿の扱い#
省令が定める14項目#
「発信者情報」が具体的に何を指すかは、法律ではなく総務省令(施行規則2条)が列挙している。
| 区分 | 項目(施行規則2条の号) | 典型的に持っている事業者(目安) |
|---|---|---|
| 契約者情報 | 氏名・名称(1号)、住所(2号) | AP。登録時に収集していればCPも |
| 連絡先 | 電話番号(3号)、電子メールアドレス(4号) | CP(アカウント登録・認証に使っている場合)、AP |
| 投稿時の通信 | IPアドレスとポート番号(5号)、携帯の利用者識別符号(6号)、SIM識別番号(7号)、投稿の年月日・時刻(8号) | CP |
| ログイン等の通信 | 専ら侵害関連通信に係るIPアドレスとポート番号・識別符号・SIM識別番号・SMS電話番号・時刻(9〜13号) | CP |
| 回線の識別 | 利用管理符号(14号) | AP(回線を貸し借りしている事業者間) |
右端の列は条文ではなく、一般的な傾向として当サイトが付けた目安だ。誰が何を持っているかは事業者ごとに違う。
5号に「ポート番号」が入っている点は見落とされやすい。携帯回線などで一つのIPアドレスを多数の契約者が同時に使う場合、IPアドレスと時刻だけでは利用者を区別できないことがある(IPアドレスの記事で扱った日本インターネットプロバイダー協会の2015年の資料)。現行の施行規則は、IPアドレスと「組み合わされたポート番号」を開示の対象として明記している。
もう一つは3号と4号だ。SNSに登録した電話番号やメールアドレスそのものが開示の対象になる。IPアドレスを経由しなくても、アカウントに結びついた連絡先が身元につながる経路になりうる。
ログイン型投稿と「特定発信者情報」#
XなどのSNSは、ログインしたアカウントから投稿する仕組みだ。総務省の改正概要は、こうしたログイン型サービスの中に、ログイン時のIPアドレスは記録していても投稿時のIPアドレスは記録していないものがあると説明している。改正前は、ログイン時の情報が開示の対象になるかどうかで裁判例が分かれていた。
令和3年改正はこれを「特定発信者情報」として開示の対象に入れた(法5条1項、施行規則3条)。対象となる通信(侵害関連通信)は施行規則5条が4類型に限っている。投稿より前のアカウント作成とその際のSMS等による認証、ログインと認証(投稿の前後を問わない)、ログアウト、投稿より後のアカウント削除で、いずれも投稿と「相当の関連性を有するもの」に限られる。
ただし、特定発信者情報には通常の要件に加えて補充的な要件がかかる(法5条1項3号)。CPが投稿時の通信記録などを持っていない場合、CPが持っている情報が施行規則4条の定める限られたものだけの場合(たとえば住所のない氏名、電話番号、メールアドレス、投稿の時刻だけ)、あるいは先に開示された情報では発信者を特定できない場合のいずれかに当たるときだ。逐条解説はその理由として、ログインの通信はそれ自体に権利侵害性がなく、発信者のプライバシーと通信の秘密を守る必要性が投稿の通信より高いことを挙げている。
匿名で発信する側から読み替えると、投稿時のIPアドレスを記録していないSNSでも、ログインやアカウント作成の記録が開示の経路になりうる、ということになる。投稿だけ慎重にしても、同じアカウントへの別のログインが記録に残っていれば、そちらが区画と区画をつなぐ橋になる。
要件: 権利侵害の明白性と正当な理由#
開示命令は、誰でも、どんな投稿についてでも得られるものではない。法5条1項は二つの要件を課している。
一つ目は、その投稿によって申立人の権利が侵害されたことが明らかであること(1号)。逐条解説によれば「明らか」とは権利侵害が明白であるという意味で、不法行為の成立を妨げる事情(違法性阻却事由)の存在をうかがわせる事情がないことまで含む。逐条解説は名誉毀損を例に、公共の利害に関する事実について専ら公益を図る目的で摘示し、それが真実であれば違法性がないとする判例の枠組みを引いている。そうした事情がうかがわれる投稿は、この要件を満たしにくいことになる。逐条解説は、発信者が合理的な根拠を示して開示に反対している場合には、権利が違法に侵害されたことが明白だと確信できる場合は多くないだろうとも書いている。この要件は令和3年改正の議論で緩和が検討されたが、適法な匿名表現をした人の情報まで開示されるおそれが高まり表現の萎縮につながるという指摘を受けて、維持された。
二つ目は、開示を受けるべき正当な理由があること(2号)。条文は損害賠償請求権の行使を典型例に挙げ、逐条解説は謝罪広告などの名誉回復措置の請求、差止請求、発信者への削除要求を具体例として示す。一方で逐条解説は、刑事責任の追及だけを目的とする開示はこの要件に当たらないとしている。告訴や告発は相手の氏名が分からなくてもできるからだ。
却下される典型は、この二つの裏返しになる。権利侵害が明白とまでは言えない投稿(批判や論評の範囲にとどまる、公益性がうかがわれる)、開示を求める理由が損害賠償や名誉回復と結びつかない申立てだ。さらに裁判所は、申立てが不適法であるか理由がないことが明らかなときは、相手方に申立書の写しを送らずに却下できる(法11条)。
発信者の側にも手続き上の機会がある。開示の請求を受けた事業者は、連絡が取れない場合などを除き、応じるかどうかについて発信者の意見を聴かなければならない(法6条1項)。冒頭で触れた書面はこれにあたる。応じるべきでないと答えた発信者に対して開示命令が出たときは、事業者は遅滞なくその旨を通知しなければならない(同条2項)。開示を受けた側も、その情報をみだりに使って発信者の名誉や生活の平穏を害してはならない(法7条)。
逐条解説は令和5年3月更新の、法名変更前の版で、総務省は現行法の解説を後日更新するとしている。上の説明はこの版の記述に基づく。
海外事業者とVPN事業者への射程#
X・Google・Metaなど海外のSNS#
開示命令事件では、相手方が海外の会社であることが珍しくない。逐条解説は、開示命令事件は外国法人を相手方とするなど渉外的要素を含むことが多いとして、法9条に日本の裁判所の管轄権の規定を置いた理由を説明している。
法9条1項3号は、日本において事業を行う者(日本で取引を継続してする外国会社を含む)を相手方とし、申立てがその日本における業務に関するものであるときは、日本の裁判所が管轄権を持つと定める。会社法は、日本で継続して取引をしようとする外国会社に、日本における代表者を定めて登記することを求めている(法務省の案内、会社法817条・818条)。法務大臣は2024年3月12日の会見で、与党の提言に「発信者情報開示制度等の適切な運用」の柱として海外SNS事業者の外国会社登記の徹底が含まれていることに触れ、関係省庁と連携して外国企業に個別に登記を促す文書を出す準備を進めていると述べた。登記があれば、東京地裁の裁判官の寄稿にあるとおり、外国法人の資格証明書を国内の法務局で取得できる。
手続きの運び方にも海外の相手方を想定した工夫がある。裁判所は申立書の写しを相手方に「送付」すればよく、正式な「送達」は求められていない(法11条1項)。逐条解説はその理由として、送達では時間がかかり、とくに海外送達は国内より時間を要することを挙げる。総務省の改正概要は「新たな非訟手続では米国企業に対してEMS等で申立書の送付が可能」と書いている。
総務省は2025年4月以降、Google LLC、Meta Platforms, Inc.、X Corp.などを情報流通プラットフォーム対処法の大規模特定電気通信役務提供者に指定している。ただしこの指定は削除対応と透明化の義務に関するもので、開示命令の可否とは別の制度だ。海外SNSが個々の申立てで何を保有し、どう対応しているかを示す一次資料は今回確認できなかったため、事業者ごとの実務には立ち入らない。
VPN事業者は「鎖の環」が一つ増えるだけ#
VPNを使って投稿すると、SNSの記録に残る投稿時やログイン時のIPアドレスはVPNサーバーのものになる。このとき開示の連鎖がどう進むかを、条文と逐条解説から読み取れる範囲で整理する。
事実として確認できるのは次の点だ。提供命令は、CPが保有するIPアドレスなどから割り出せる「他の開示関係役務提供者」の名称と住所を知らせるよう命じるもので、割り出せない場合は「その旨」を知らせる(法15条1項1号)。逐条解説は、格安SIM事業者(MVNO)が大手携帯会社(MNO)の回線を借りている場合のように、複数の経由プロバイダが順につながる連鎖を想定して管轄の規定を置いている。そして、どの事業者に対しても、開示を命じられるのはその事業者が保有する情報に限られる(法5条)。日本の裁判所が外国の事業者に命令を出せるかは、前項の法9条で決まる。
ここからは当サイトの読みだ。VPN事業者は、この連鎖の中でISPやMVNOと同じ位置、つまりIPアドレスを契約者に結びつけうる一段に入ると考えられる。その一段で連鎖が止まるかどうかは、少なくとも三つの事情で決まるとみられる。一つは事業者の所在と、日本で事業を行っているかどうか(日本の裁判所の管轄が及ぶか)。二つ目は、事業者が接続の記録や契約者の情報をどれだけ保有しているか。三つ目は、事業者の本国の法律と、その国の手続きで記録が取り寄せられるかどうかだ。VPN事業者を相手方とした開示命令の裁判例は、今回の調査では見つけられなかった。
したがって「VPNを使えば追えない」とは言えない。日本で事業を行う事業者なら日本の手続きの対象になりうるし、海外の事業者でも本国の法律に基づく別の経路がある。ノーログを掲げる事業者が実際に何を持っているかは、監査や押収の実績で確かめるしかない。その読み方はノーログVPNの記事で扱った。
もっと見落とされやすいのは、VPNが覆っているのがIPアドレスだけだという点だ。前の節で見たとおり、SNSに登録した電話番号やメールアドレス、VPNを切った状態での一度のログインも、開示の対象になる記録として残る。VPN事業者の顧客名簿に実名の決済情報が載っていれば、それも一つの記録だ。IPアドレス以外の橋についてはアカウント復旧経路の記事と匿名メールとエイリアスを参照してほしい。
ログ保存期間との競争#
開示命令は、記録が残っている間しか意味を持たない。ログの保存期間について、総務省と個人情報保護委員会のガイドラインの解説は、接続認証ログなどについて一般に6か月程度の保存を認め、業務上の必要があれば1年程度の保存も許容している。これは保存してよい期間の目安であって、保存を義務づけるものではない。
2025年9月の総務省のワーキンググループ報告書は、この点に具体的な問題があったことを記録している。ヒアリングでは、通信履歴の保存期間が過ぎたために発信者情報の開示を受けられない事例が「相当数」認められたという。報告書は、CPとAPが誹謗中傷などへの対策に必要な通信履歴を「少なくとも3~6か月程度」保存することが望ましいという考え方を示し、この内容は2025年10月のガイドライン解説の改正に反映された(個人情報保護委員会・総務省の新旧対照表)。新旧対照表は、CPについてアカウント情報、ログイン情報、投稿情報などを例に挙げている。報告書は同時に、この考え方に反しても直ちに法的責任が生じるものではないと明記している。
東京地裁の裁判官の寄稿も、苦労して開示命令などを申し立てたのに、プロバイダ側の保有期間の経過などで目的を遂げられないことが少なくないと書いている。提供命令の履行にかかる期間はプロバイダや事案によって一様でないともいう。
この数字を並べると、手続きの時間配分が見えてくる。投稿から被害者が気づき、弁護士に相談し、申し立てるまでに時間がかかり、東京地裁の平均審理期間は報道で約103日とされる。保存期間が3〜6か月程度なら、その間に余裕はあまりない。提供命令と消去禁止命令が作られたのは、この時間差を埋めるためだ。消去禁止命令が出れば、記録は事件が終わるまで保全される。
ここからは推測になる。匿名で発信する側にとって「時間が経てばログは消える」という見通しは当てにならない。保存期間は事業者ごとに違い、望ましい期間として示された3〜6か月は下限の目安であり、1年程度まで保存してよいとされている。申立てが早ければ記録は凍結される。被害を受けた側にとっては、逆に、動き出すのが早いほど記録が残っている見込みが高い。
限界と残るリスク#
この記事が扱ったのは、日本の民事の開示手続きだけだ。法執行機関は捜査関係事項照会や令状という別の経路を持ち、海外のサービスには本国の法律に基づく手続きが及ぶ。開示命令が届かない場面でも、記録が誰にも取り寄せられないとは限らない。
開示されなくても身元が割れる経路は残る。文章の癖、投稿の時間帯、写真に写り込んだ風景、過去のハンドル名の再利用は、裁判所を通さずに標的型攻撃者が突き合わせられる。OSINTの記事で扱ったとおり、匿名アカウントを見つけるのに令状は要らないことがある。
制度そのものも動いている。ログ保存の考え方は2025年10月に改められたばかりで、2027年3月には公職選挙法とあわせた改正法の施行が控えている(開示の章の文言は変わらないことをe-Govの改正後本文で確認した)。統計は司法統計を直接確認できず、報道と裁判官の寄稿に頼った。条文の解釈で逐条解説に依った部分は、法名変更前の版の記述だ。
そして最後に、開示されるかどうかは、技術ではなく投稿の中身で決まる部分が大きい。要件の節で見たとおり、権利侵害が明白でない投稿や、公益目的の論評がうかがわれる投稿は、開示の要件を満たしにくい。誰かの権利を明らかに侵害する投稿は、どんな道具を使っていても責任が消えるわけではない。この制度は、匿名の投稿で傷つけられた人が救済を求めるために存在している。
まとめ#
匿名でSNSを使っている一般の利用者が今日確認するのは、匿名アカウントに登録している電話番号とメールアドレスだ。施行規則2条の3号と4号は、それ自体を開示の対象にしている。実名で使っている番号やアドレスを登録していれば、IPアドレスより先にそこが身元への橋になる。区画の分け方はカンパートメント化の設計書で一枚の表に落とせる。X固有の設定はXを匿名で運用する記事で扱っている。
記者や告発者など、公益に関わる事実を匿名で発信する立場なら、意見照会書が届いたときの対応を先に決めておくのが合理的だ。法6条の意見聴取は、開示に応じるべきでない理由を述べられる手続き上の機会であり、公益目的や真実性は「明らか」の要件の判断に関わる。書面が届いてから相談先を探し始めるより、相談できる弁護士や所属組織の窓口を前もって確かめておくほうが落ち着いて答えられる。
投稿によって被害を受けた側なら、ログの保存期間を意識して早く動くことが、この記事から引き出せる唯一の実務上の教訓だ。東京地裁は申立書の書式と記載例をウェブサイトで公開しているが、要件の判断と保全の段取りには経験が要る。申立ての前に弁護士に相談してほしい。
出典#
参照日はいずれも2026-11-08。報道と弁護士会会報の寄稿は一次統計の代わりに使ったもので、その旨を本文に記した。
- e-Gov法令検索 — 特定電気通信による情報の流通によって発生する権利侵害等への対処に関する法律(平成13年法律第137号)(1条・2条・5〜19条。改正履歴で令和3年法律第27号の施行日2022-10-01、令和6年法律第25号の施行日2025-04-01と題名変更、令和8年法律第58号の施行日2027-03-01を確認)
- e-Gov法令検索 — 同法施行規則(令和4年総務省令第39号)(2条の発信者情報14項目、3条の特定発信者情報、4条、5条の侵害関連通信)
- 総務省 — インターネット上の違法・有害情報に対する対応(情報流通プラットフォーム対処法)(2025年4月の施行と法名・省令名の変更、大規模特定電気通信役務提供者の指定)
- 総務省 — プロバイダ責任制限法の一部を改正する法律(令和3年改正)の概要(2回の裁判手続、3つの命令、ログイン型サービス、EMS等による送付)
- 総務省 — 特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律に関する解説(令和5年3月更新、改正前の法律の解説。「明らか」と「正当な理由」の意味、国際裁判管轄、送付と送達、MVNOパターン)
- 東京地方裁判所 — 発信者情報開示命令申立て(電子申立て不可)(電子化の対象外、削除は求められないこと、手数料、法11条の運用、開示仮処分の書式)
- 総務省 — 通信ログ保存の在り方に関するワーキンググループ報告書(令和7年9月、抜粋)(保存期間の経過で開示を受けられない事例、「少なくとも3~6か月程度」、6か月程度/1年程度、法的責任は直ちに生じないこと)
- 個人情報保護委員会・総務省 — 電気通信事業における個人情報等の保護に関するガイドラインの解説 一部改正 新旧対照表(令和7年10月。CPのアカウント情報・ログイン情報・投稿情報などの保存期間)
- 法務省 — 法務大臣閣議後記者会見の概要(2024-03-12)(海外SNS事業者の外国会社登記の徹底)
- 法務省 — 外国会社の登記を忘れていませんか?(会社法817条・818条)
- 東京弁護士会LIBRA 2025年4月号 — 特集「発チ事件」最前線(東京地裁民事第9部の裁判官による寄稿。全国の約7割、2年目の約4割増、保有期間の経過、外国法人の資格証明書)
- 朝日新聞 — ネット中傷、投稿者特定の申し立てが1万件超22年に導入後初めて(2026-07-23、報道。最高裁のまとめとして2025年1万72件・2024年6779件・東京地裁9343件、平均審理期間約103日)
- 共同通信(福島民友掲載)— ネット発信者開示請求、昨年超え 東京地裁(2025-11-07、報道。司法統計として東京地裁2022年554件・2023年3755件・2024年6274件)