はじめに(この記事で分かること)#

VPN事業者が「ログを残さない」と宣言していても、事業者が必ず持っている記録がある。誰が顧客で、いつ、いくら払ったかという顧客記録だ。通信の記録がなくても、顧客記録に本名とクレジットカードが載っていれば、「この人はこのVPNを契約している」ことは事業者のデータベースに残る。

顧客記録に何が残るかは、二つの選択で決まる。アカウントを何で作るか(メールアドレスか、番号だけか)と、何で払うか(カード、暗号資産、現金、ギフトカード)だ。この記事は、その二つを手段ごとに比べ、主要7社がどの手段に対応しているかを公式の情報で整理する。結論を先に言えば、支払いを匿名化しても、アカウントを実名のメールで作れば効果は大きく減る。逆もまた同じだ。

前提: 脅威モデルの整理#

匿名で支払うことが効く相手は限られる。脅威モデル入門の5種類の相手で考えると、主に二つの場面だ。一つは、VPN事業者そのものが法的な要請を受けて顧客情報を出す場面。もう一つは、事業者の顧客データベースが漏えいする場面だ。どちらの場面でも、顧客記録が名前を持たなければ、その記録だけから「あなたがこのVPNの顧客だった」と読み取ることは難しくなる。決済経路や郵便のように、顧客記録の外に名前が残る場所があることは、この後の各節で扱う。

逆に、匿名で支払っても変わらないものもある。ISPからは、あなたがVPNのサーバーに接続していることと、接続した時刻や通信量が見える。ISPが持つ契約者情報も、VPNでは隠れない。VPN事業者からは、あなたが接続してくる元のIPアドレスが見える(IPアドレスからの特定)。広告トラッキングを避けたいだけなら、支払い手段は関係が薄い。この記事が扱うのは、顧客記録という一本の「橋」をどう細くするかという問題だ。

アカウント登録: メールは支払いと同じだけ名前を運ぶ#

アカウントの作り方は3通りある#

VPNのアカウントの作り方は、事業者によって大きく三つに分かれる。

一つ目は、番号だけのアカウントだ。Mullvadは、登録時にユーザー名もパスワードもメールアドレスも求めず、ランダムに生成したアカウント番号だけを発行するとポリシーに明記している。IVPNも、メールアドレスなしで登録でき、ボタンを押すと発行されるアカウントIDだけでサービスを使えると説明している。

二つ目は、メール欄はあるが実在のアドレスを求めない方式だ。AirVPNの登録ページは、メール欄を必須にしつつ、実在のアドレスは必須ではなく任意の文字列を入れてよいと書いている。その代わり、実在しないアドレスではパスワードの再設定ができなくなる。

三つ目は、メールアドレスでアカウントを作る方式で、NordVPN、ExpressVPNなど多くの事業者がこれにあたる。Proton VPNはProtonのアカウントを使い、Bitcoinや現金での支払いはアカウントを作った後でなければ選べない。

メールアドレスが橋になった例#

アカウントの識別子が名前への橋になることを示したのが、2021年のProton Mailの件だ。TechCrunchなどの報道によれば、フランスの警察がEuropolを通じてスイス当局に要請し、スイス当局の法的拘束力のある命令によって、Protonは特定の活動家のアカウントのIPアドレスを記録して提供した。活動家はその後逮捕された。これはメールサービスの事例でVPNの事例ではないが、事業者が通信の中身を読めない設計でも、アカウントという識別子を起点に記録が取られうることを示している。

VPNでも構図は同じだ。実名のメールアドレスでアカウントを作れば、そのアドレスを手がかりに、メールの事業者の記録とつながる。匿名で支払ったとしても、アカウントのメールアドレスが本名のGmailなら、顧客記録は名前を持つ。登録に使うメールアドレスの分け方は匿名メールとエイリアスで扱う。

支払い手段ごとに何が残るか#

クレジットカード・PayPal#

カードやPayPalで払えば、カード会社や決済代行会社の記録に、本名とVPN事業者への支払いが残る。VPN事業者が顧客の名前を保存しない方針でも、支払いの経路の側には名前がある。

Mullvadは、PayPalやStripeなどの決済代行会社にはアカウント番号を渡していないと説明している。ただし例外があり、銀行振込の場合はアカウント番号が振込のメッセージ欄に残る。どの手段でも、事業者の方針と、決済経路に残る記録は分けて考える必要がある。

Bitcoin#

Bitcoinでの支払いは、カード会社に記録を残さない。その代わり、公開台帳に記録が残る。Mullvadは、Bitcoinの支払いごとに生成した受取アドレスを保存し、20日後に削除すると説明している。

問題は、支払いに使ったBitcoinの出所だ。国内の交換業者で本人確認をして買ったBitcoinをそのまま送れば、交換業者の記録と公開台帳をたどることで、「この人が、このアドレスに、この額を送った」ことが分かる。送り先のアドレスがVPN事業者のものだと推定されれば、顧客であることも推定される。この仕組みはチェーン解析の記事で詳しく扱った。Bitcoinは匿名ではなく、追跡可能な仮名である。

Monero#

Moneroは、台帳の上で送金元・送金先・金額を隠す。Mullvad、IVPN、AirVPNはMoneroを直接受け付けている。IVPNは自前のMoneroウォレットで受け取ると説明している。Mullvadは、二重計上を防ぐためにMoneroの取引ハッシュを保存すると明記している。

利点と対になるリスクは、入手の段階にある。日本の登録業者はMoneroを扱っておらず、入手経路のそれぞれに凍結や詐欺のリスクがある(Moneroの入手方法)。入口で本人確認をしたBitcoinをMoneroに替えて払う場合、台帳の上の流れは隠れても、交換の時点の記録は交換サービスに残る。

現金の郵送#

現金を封筒で送る支払いは、カード会社や銀行を介さずに払える数少ない方法だ。ただし、記録がどこにも残らないわけではない。VPN事業者の側にはアカウントと入金の記録が残り、郵送の記録も残りうる。Mullvadのポリシーは、現金で支払われた場合に保存する項目として、支払い、アカウント番号、金額、通貨、タイムスタンプを挙げている。Mullvadは現金を受け付け、アカウント番号の代わりに支払い用の「トークン」を同封するよう求めている。トークンは、どの支払いがどのアカウントのものかを照合するためのもので、照合が済んでいないトークンは郵便の遅れに備えて120日間保存されると説明している。Protonは米ドル、ユーロ、スイスフランの現金を受け付ける。

日本から送る場合は、郵便の制度が制約になる。日本郵便によれば、国際郵便で現金を送れるのは書留または保険付きの場合に限られ、送り先の国によっては現金の送付が禁じられていたり、金額に上限があったりする。書留には差出人の情報を記載することが通常求められるため、郵便の記録には差出人が残る(推測を含む。実際の記載要件は窓口で確認する必要がある)。郵送中の紛失や遅延、外貨を用意する手間もある。

ギフトカード・プリペイドカード#

一部の事業者は、店頭で現金で買えるギフトカードやプリペイドカードでの支払いに対応している。NordVPNは、現金で払いたい場合は小売店でサブスクリプションを購入できると案内している。Private Internet Access(PIA)は、一回払いの手段としてギフトカードとプリペイドのVisa・Mastercardを挙げている。一方、IVPNはカード払いについて、プリペイドカードとギフトカードは受け付けないと明記している(同社独自のバウチャーは別に扱っている)。事業者によって、プリペイドカードを受け付けるかどうかは分かれる。

日本で手に入りやすいVisaプリペイドカードの代表が、ライフカードのVプリカだ。Vプリカは身分証の確認なしで発行される。ただし、同社の約款によれば、アカウント登録時に氏名、性別、生年月日、住所、電話番号、メールアドレスなどを取得する。「身分証を出さない」ことと「何も知られない」ことは同じではない。Vプリカでの支払いは、ライフカードの記録に、登録した情報とともに残る。

主要7社の対応状況#

以下は、2026年11月1日時点で各社の公式ページから確認できた内容だ。順位や推奨を示すものではない。「記載なし」は、公式ページで確認できなかったことを意味し、対応していないと断定するものではない。

事業者アカウントの識別子MoneroBitcoin現金ギフトカード・プリペイド
Mullvad番号のみ(メール不要)可可可(郵送、トークン方式)自社バウチャーの記載あり。他社のプリペイド・ギフトカードは記載なし
IVPNIDのみ(メール不要)可(自前ウォレット)可(自前のBTCPay)可自社バウチャー可。他社のプリペイド・ギフトカードは不可
AirVPNメール欄あり(実在のアドレスは不要)可(直接)可(直接)記載なしギフトバウチャーの記載あり
Proton VPNProtonアカウント不可可(オンチェーンのみ。アカウント作成後)可(USD・EUR・CHF)自社のギフトカード(Proton Shopで販売、注文確認はメール)
NordVPNメールアドレス記載なし(料金ページの例示にない)可(料金ページはBitcoin・Ethereum・Litecoin・ステーブルコインを例示)小売店でプリペイドカードを購入プリペイドカードの記載あり
ExpressVPNメールアドレス不可不可(暗号資産の受付を終了)記載なし記載なし
PIAメールアドレス不可不可(ヘルプが「暗号資産の受付を終了」と明記)記載なしギフトカード(PayGarden経由)、プリペイドVisa・Mastercard

ExpressVPNは、2026年8月11日更新の公式ガイドで、BitPay経由を含め暗号資産での支払いに対応しなくなったと明記している。PIAも、公式ヘルプで暗号資産の受付を終えたと明記している(ただし2025年11月改訂のプライバシーポリシーには、暗号資産での支払いについての記述がまだ残っている)。NordVPNは、公式ヘルプと日本語の料金ページで暗号資産での支払いを案内しており、料金ページはBitcoin、Ethereum、Litecoin、ステーブルコインを例示している。プライバシーポリシー(2026年8月9日更新)の決済委託先の一覧にはCoinGateの名前があり、支払いの記録は最後の取引から10年保存するとしている。NordVPNは2024年10月、パナマの検察の令状に対して、支払い関連のデータとアカウントの有無を提供したと公表しており、決済の記録が実際に提出の対象になった例として読める。契約の前に、各社の購入画面で最新の状況を確かめてほしい。

組み合わせの整合性#

支払いと登録は、片方だけ匿名にしても効果が薄い。脅威モデル入門で書いた「対策の合計ではなく整合性」が、ここでもそのまま当てはまる。

Moneroで払っても、本名のメールアドレスでアカウントを作れば、顧客記録はメールアドレスを通じて名前とつながる。番号だけのアカウントを作っても、本人確認をした交換業者から直接Bitcoinで払えば、交換業者の記録と公開台帳から支払いの事実が推定されうる。現金を郵送しても、差出人を書いた書留の記録は郵便の側に残る。

そして、どの組み合わせでも、VPN事業者は接続してくるあなたのIPアドレスを見る。匿名の支払いと登録が細くするのは顧客記録という橋であって、接続の記録を消すものではない。接続の記録をどう扱うかは事業者のログ方針の問題であり、ノーログVPNの記事で扱う。

法規制と税#

暗号資産でVPNの料金を払うことは、日本の税務上、暗号資産の譲渡にあたる。国税庁のFAQは、暗号資産で商品を購入した場合、支払いに使った暗号資産の譲渡による所得を計算する必要があるとしている。BitcoinでもMoneroでも、取得時より値上がりしていれば課税の対象になる。

国内の交換業者からVPN事業者のアドレスへ直接送金する場合、交換業者から送り先と受取人の情報の登録を求められる。これは交換業者側の手続きであり、事業者間で送金人・受取人の情報を通知し合うトラベルルールの通知義務そのものとは区別して考える必要がある。Moneroをめぐる規制(日本の登録業者が扱わない理由、EUの規制)はBitcoinとMoneroの追跡可能性で、混合サービスの運営者に対する摘発はチェーン解析の記事で整理している。

限界と残るリスク#

匿名で支払う手段は、どれも利便性と引き換えになる。

手段利点対になるリスク
カード・PayPal手軽で返金にも対応しやすい決済経路に本名が残る
Bitcoinカード会社に記録を残さない公開台帳で追跡可能。出所が本人確認済みの交換業者なら名前とつながる。課税の対象
Monero台帳上で流れを隠す入手が難しく、入手経路ごとに凍結・詐欺のリスク。課税の対象。返金の対象外とする事業者がある
現金の郵送カード会社や銀行を介さない事業者にはアカウントと入金の記録(金額・日時など)が残る。国際郵便の制約、紛失・遅延、郵便の記録に差出人が残る
ギフトカード・プリペイド店頭で現金で買える場合がある発行会社の登録情報が残る。受け付けない事業者もある

Mullvadは、現金での支払いを返金の対象外とし、2023年1月1日からは暗号資産での支払いについても返金とアカウントの復旧を受け付けないと公表している。匿名の手段を選ぶほど、トラブルのときに頼れる手続きは減る。アカウント番号やトークンを失えば、それを証明する手段もない。

そして、ここで整理したのは顧客記録の話だけだ。VPNの接続中に実名のアカウントにログインすれば、VPNで何を隠しても、ログインした先のサービスにはあなたの名前が残る。

まとめ#

広告トラッキングや公衆Wi-Fiでの盗み見を避けたいだけなら、支払い手段にこだわる必要は薄い。カードで払い、事業者の選択とブラウザの設定に力を注ぐほうが効果は大きい。

VPNの顧客であること自体を記録に残したくない人は、まずアカウントの識別子から考えてほしい。番号だけで作れる事業者を選ぶか、メール欄があるなら実名と結びつかないアドレスを使う。そのうえで、支払い手段を、手に入れやすさとリスクを比べて選ぶ。現金の郵送、Monero、出所を分けたBitcoinのどれを選んでも、上の表の右の列にあるリスクは残る。

どの手段を選んでも、接続元のIPアドレスは事業者に見えている。支払いの匿名化は、ログを残さない事業者を選ぶことと組み合わせて、初めて意味を持つ。

出典#